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パダワンとはスターウォーズに登場する戦士で、修行中の身の戦士の事です。私の仕事の車に関係する”ガレージ”を付け、初心に返る意味で、屋号にしてます♪


by deshi-mie
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人生の分岐点

※本当に日記の様な内容ですので、スルーしてもらっても良いです^^

昨日の夜中、0時をまわった頃に電話があった。

大変お世話になった人の不幸だった。。。
そういえば昔、心臓が悪いと言っていた様な。。。
現時点ではまだ何も分からない。
最近は全く連絡取っていなかったが、昔、本当にお世話になった人。

今の僕があるのも、この人の影響と言っても過言では無い。
約20年前、この人に逢った事が人生の分岐点だった。


兄の紹介で、兄と同じ会社に入った。
そこに居た先輩。
営業の仕事なので、数人の先輩と同乗してまわった。
その時に、初めてカートに乗せてもらった。

当時、僕はバイク一筋で、車の免許も無かった。
でも、営業は車なので、会社で免許取らせてもらった。
でも、普段はバイクばっかり。
※バイクと車歴は横のカテゴリにあります。宜しかったら^^

この先輩も、以前は西日本サーキット(もう今はマツダのコースになっている)で、
バイクのレースに出ていたらしい。
で、いつも上位に居たらしい。(兄&同僚談)
で、ある日、カート場にふらっと友人と遊びに行き、
レンタルカートに乗ってカートの楽しさを知り、マイカートを買った。
そして、初レースで優勝した。

僕は当時、峠を走りながらミニバイクのレースをしていた。
一緒に耐久に出た事もあった。
一緒に峠に行った事もあった。
そして、『お前、座高高いからカートの方がいいぞ!』と言われた。
何の事かさっぱり分からなかったが、僕もカートを買った。
そして、練習した。
なかなかタイムが上がらないので、一緒に走ってもらった。

『お前ね、初レースで優勝出来たら弟子にしてやる!』
と言われた。
初レースまで2ヶ月。
まぁ、別に弟子にならなくても、教えてもらえるから良かったが、
優勝はしたかった。

『人が2、3年掛かってトップタイム出しているのに、あと2ヶ月のお前が追いつくのは、
同じ時間走るしか無い!』と言われた。
そして、『2位もビリも一緒やからな!レースは1位のみ!』
と、常々言っていた。

給料のほとんどが消え、ガゾリン代やコース代、タイヤ代が無くなると、
『優勝したいんやろ?俺がたまに使ってるトコ教えてやるよ。』
と、人生初のサラ金を教えてくれて、付いてきてくれた。
ま、コレがなければ、この後佐〇急△に行く事も無かったが・・・。
分岐点の一つだった。
営業の仕事の合い間に、一緒にカート場によく行った。
僕は月に20日以上行った。

お陰で、昨年のシリーズチャンプと同等のタイムが出る様になった。
しかし既に、カート代と合わせると120万を超えていた( ̄◇ ̄|||)
レースは、、、
やっぱ2ヶ月ではレース経験が全く足らず、レース配分も考えなく、
がむしゃらに走り、2位を走行中にスピン。ビリ。
3位まで戻って、、、スピン。
また3位まで戻ってスピン・・・。
結果初レースは5位だった。
ケド、レース中ファステストを取ったので、弟子にしてくれるとの事。
なんとなく嬉しかった。めずらしく褒めてもらった。
とりあえず、師匠と呼ぶ事にした。

結構師匠はカート場では名が知れていて、色々アドバイスを
聞きに来る人がちょくちょく居た。
何故かみなさん貢物を持ってくる。
やきそばとかジュースとか。。。
ま、大半僕が食べた♪

よく『チビのくせに』と僕は言っていた。
しきりに、『俺にそんな事言うやつは、ここじゃおらんぞ』と言っていた。
カート場では有名人みたいだが、僕には会社の先輩か遊び友達の様な
存在だった。
どちらかと言えば、後者の方・・・。

初めて買った車も師匠の友人から安く譲ってもらった。
真っ赤なサバンナRX-7(SA22C)。
ここから僕の車好きが始まる。
エンジンも2回載せ変えた。
コンポの付け方も教えてもらった。
整備もちょっと。
フィルムも。

思えば、今の仕事の原点は師匠だった。

今までバイクばっかりだった生活が、車に変わっていった。
でも、師匠もバイク好きだったので、バイクでも遊んだ。

僕が住んでいたマンションの室内で、夜な夜な一緒にバイクも組んだ。
完成し、室内でエンジン掛けるとソートーやかましかった。
2階の人から苦情言われた。
ま、当然。。。

東区から呼子までツーリングに行こうと、夜中やってきて誘われた。
きっと奥さんとケンカしたんだろう。
着いて来いと言われたが、尋常じゃ無いスピードだった。
なんと45分くらいで着いた。
途中長い直線で、僕のバイクの全開速度で走っていると、
僕のヘルメットを叩きながら抜いて行った。
あのスピードで手が届く距離まで近づいたという事。
僕はハンドルから手を離す事さえ出来ない。
その他、相当なスピードで横向きに座り、手を振っていた。。。
後に、コレは僕もマスターした^^

呼子はイカで有名だが、夜中は当然何も無い。
何しに来たかと思えば、草の上に寝そべって、流れ星を見に来たとの事、、、
男2人で!?
でも、初めて流れ星が見れた^^
呼子に行ったのも初めてだった。
以外に師匠はロマンチストか?
お陰で当時はバカの一つ覚えの様に、彼女が出来る度に夜の呼子に
流れ星を見に行った。

しかし、行きがけ調子にのっていたので、師匠のガゾリンが無くなり、
夜道を押した。
当時は24時間のスタンドなど、あまり無かった時代。
しかも、呼子の帰りの裏通り。
数キロ押したトコで、僕のタンクからガソリンを入れる事に気付いた。
朝の4時をまわっていた。

カート界では異例の50万賞金レースがあった。
50万も出るンで、福岡どころか本州からもカーターがやってきた。
レースも、普段のレースとは雰囲気が違う!
みんな正気を失ったレースの様だ。
バトルも激しい!!
ま、もとはと言えば、師匠のカート屋さんにたまった”ツケ”(推定約30万)を
払う為に企画されたレースだったと師匠は言っていた。
本当かどうかはは分からないが、なンと優勝してしまった!
ツケも払ったらしい。

次の日、ステーキを食べに行こうと言われた。
『ステーキが皿からはみ出して、切ったら豆腐の様に横に倒れるよーなの
食ったコトなかろうがぁ~!』と言って連れて行かれた先で、
今まで見たコト無いくらいBIGなステーキが出てきたo(><)o
確か、1人8000円くらいのセットだったと記憶している。
賞金が入ったので、おごってくれたのだ。
今では、同じサイズのステーキセットが、3000円位で食べれるので、
何回か食べた事がある。
24オンスだったかな?
でも、当時の僕にはびっくりサイズだった。

師匠が新発売のS13シルビアを買って納車の日に、ドライブに行った。
その日に、助手席のドアの下を、開けたひょうしにぶつけて傷を入れた
のは僕である。。。Orz
当時流行っていたプレリュードに対抗して、ナンパの名所の親不孝通りに
行こうと言ってきた。
『師匠はちっちゃいからムリよ』と、諦めさせた。

仕事の荷物を積む時も、僕が3個持ったら4個。
5個持ったら6個と、年下の僕をライバル視していた。
ゲーセンでも僕に負けたく無い様子。
ボーリングでは、12ゲームした事もあった。
僕が勝っていて、自分が勝つまで止めないと言い出した。
しまいにゃ、スピード計測で勝負しろと言ってきた。
師匠43km、僕41km。。。負けた。
運良く、ボリング場が閉店になる為終了。。。
さすがに12ゲーム連続は疲れたww

師匠はカラオケが大好きだった。
ちなみに師匠は既婚者。
奥さんとケンカするたび夜通しカラオケや、うちに泊まりに来ていた。
よく浜省の”Money”を歌っていた。
あの歌詞の
純白のメルセデス~♪プール付きのマンション~♪最高の女とベッドでドンペリニヨン♪
という所がお気に入りだった。
いつか俺もなるぜ!と言っていた。
当時あったディスコのマハラジャで、2人共初めてドンペリを飲んだ。

僕が会社を辞めると、なかなか連絡しなくなった。
ま、当時の佐〇急△は、朝早く、夜遅かったので、暇も無かった。

数年前、僕と当時カート場で一緒だったA氏とで佐〇カップという
耐久レースを企画していた。
参加者は、ほとんど佐〇急△の社員で、レース経験者も居たが、
カート経験者は少なく、結構僕のチームが優勝していた。
そこで、昔は勝てなかった師匠を呼んでみた。
今なら、このレンタルカートでなら勝てるカモ?
師匠は最近はほとんどカートに乗っていないらしい。
が、結果は師匠のチームが優勝。
タイムも師匠がファステストだった。。。
やっぱり師匠は師匠なのだ。
亀千人を超える悟空にはなれなかった。(と、師匠に言われた。。。)

師匠に逢わなければ、カートの世界に入る事も無く、
今のカート仲間とも逢わなかっただろう。
そして、たぶん今の仕事もしていなかっただろう。
当然佐〇急△にも行っていなかったはずだ。
まぁ、行ったら行ったで12年間楽しかったが。

まだまだいっぱい思い出はある。

また遊んで欲しかったな・・・。
by deshi-mie | 2008-02-20 00:43 | パダワンの独り言